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高野山という名の山はない

2018.07.05 |

高野山は平安時代のはじめに弘法大師・空海が開いた真言密教の道場です。標高約800mの山上に盆地状の平地があり、そこに宗教都市が築かれて今に至るのですが、実は高野山という名の山はありません。高野山とは山上盆地の地名です。(しかも奈良県じゃなく和歌山県)
初めて登る方は山上からの眺めを期待するかもですが、周囲を山や森に囲まれているので展望はほとんど望めません。高野山では不思議なほどに高さを実感できないのです。

数年前に山上で、とある高僧にインタビューをした時のこと。「高野山は、下界を見下ろしてオレはこんな高いところにおるぞと鼻高々になるのではなく、濃密な自然に包まれて修行をする場所なのです」とその方は話されました。出家する人々は今でいうところの意識高い系だっただろうし、展望の効く山上で修行をしていたら鼻高々になるような人間臭い人物もいただろうなと思います。

空海が高野山を開創してから約300年後、西行は高野山に入り草庵を結びます。当時、西行は32歳ぐらいで、その後30年ほど高野山を拠点としながら自由気ままな旅暮らしをしていたようです。

西行がしばしば高野山から下りてきて、田を耕したと言われる天野の里は標高450mぐらい。ここに丹生都比売神社が祀られたのは、今から1700年前のことです。その500年ほど後、空海がやってきて丹生都比売神社の神領だった高野山を譲り受けたわけですが、丹生都比売神社側からすると高野山の土地は今も”貸している”らしい。空海に寄贈したわけじゃなさそうです。

いずれにしても、こちらは高野山の地主神。祀られているのは朱を司るという謎めいた女神で、高野山の僧侶たちも袈裟姿で参拝に訪れます。密教は異教の神々を包摂してきたのです。

「異質なものを包み込む空海の思想を、今こそ社会に生かすべき。草も木も虫も生命あるものはすべて根底でつながっている」と、私がインタビューした高僧は話されました。民族や宗教の違いで戦争が絶えることなく、カネとモノばかり追い求める現代社会のありように、宗教家として強い危機感を持っておられたのです。あの時私は「宇宙レベルで調和を目指すなら、人類はもう絶滅したほうがいいような気がするんですけど……」と言って話のコシを折ってしまい、山を下りながら反省したのだった。

話がそれました。

仕事のあいまにボツボツ書いていたら、長文になってきたので、いったんこのへんで終わります。