(文/硲勇)
写真集の表紙というのはとても難しい。僕の場合、構成や本文のデザインの方向性が固まってから最後に表紙を考えるので、中身にふさわしい表紙を作らないとというプレッシャーもある。表紙は中身を表したものであるべきだが、中身を表すためにはある程度の解釈や概念化が必要になる。一方で、写真家にとっての作品である写真集に、デザイナーの解釈や表現が入りすぎるべきではないとも思う。表紙は作品を手に取ってもらうためのアイキャッチの役割もあるが、広告的になっては台無しになる。
『津軽再考』の表紙は、最初のアイデアはまったく違ったものだった。柴田さんの写真に多く登場する雪を自分なりに解釈し、雪をメタファーとして使ったアイデアを共有してみた。その案は柴田さんに「雪っぽくない」と言われてあっさり捨てた。笑
デザインは作ってみてなんぼという考えがあるので、バリエーションを多く作り、目で見て判断し、また別の案に発展させる、という作業を繰り返す。インパクトを重視するポスターなんかでは最初に考えた案が最も良いという場合もあるけれど、大抵は練りくり回して完成度を上げていく。僕の場合はファイル名にxxx_1、xxx_2、xxx_3というようにバリエーションごとにバックアップをとりながら進めるので、後から見返すとどれだけ苦労したかがわかる。
『津軽再考』では、当初雪に固執しすぎて、なかなか納得できる案ができなかった。あるところで、そもそも柴田さんが写す雪をグラフィックデザインで解釈すること自体間違っているのではと思うにいたった。ファイル名を見返すと「津軽_表紙ラフ_19」のところだった。その場ではとくに良い案が浮かんだ訳ではないけれど、妙にスッキリして床についた。(続く)