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写真から感じる時間の息吹

2021.03.16 |

北浦雅子(道音舎)

松原さんの写真を初めて見たのは2004年のことだから、今から17年ほど前になる。私は当時、和歌山市の古写真を集めて写真集をつくる仕事を請け負っていて、ツテを頼っては提供者を探し歩いていた。知人の紹介で松原さんの写真店に伺ったのも、喉から手が出るほど古写真が欲しかったからだ。

その時に提供してもらったのは昭和の和歌浦を撮ったいくつかの写真で、特に印象的だったのは自転車の荷台にトロ箱を積み、魚の行商に行く男たちを捉えた一枚だった。寒風を避けるためか手ぬぐいでほっかむりをし、険しい表情で自転車をこいで走る男たちの姿と、背後で枝を広げる風雅な松並木。その対比に引き込まれ、思わず見入ってしまったのを覚えている。撮影された場所は松原さんが今も暮らす写真店の前あたりで、風光明媚な和歌浦の面影がうっすらと残る街道だ。

古代の和歌浦は玉のように小島が連なって浮かぶ聖地であり、その海景にカミを感じた万葉びとによって、大らかな和歌が詠まれている。江戸時代になると紀州徳川家の手で庭園のように整備されたが、海の民からすると、一帯の海域は自分たちが生業を得て居住する生活空間だ。聞けば松原さんも海の民の末裔で、祖先は播磨国(兵庫県)から海を渡って来たという。松原さんの祖父は漁師、父親は水産加工業をされていて、播磨から来たから屋号は「播文」だったと愉快そうに話してくれた。

船さえあれば、どこの浜でも暮らしていける。そんな海の民の遺伝子を受け継いでいるからか、松原さんの写真表現は自由にして多彩で、あらゆる枠を飄々と超えてゆく。いや、松原さんには初めから枠など存在しないのだから、超えるも超えないもないのだけれど。

そしてもうひとつ。和歌浦の地に古代から漂う詩情のような気配も、写真家・松原時夫を形成した主要な成分だと私は思っている。現在の和歌浦に万葉の風景がないとはいえ、土地から沸き立つ気配は千年程度で消え去るものではないからだ。和歌浦のポエジーを無意識に浴びて育った松原さんの写真には、万葉びとの美意識も内包されているような気がする。

松原さんが撮影した水辺の写真を見ていると、私は古代の歌人にも、中世の海人族にも想いを馳せることができる。詩情をたたえる写真の数々は文学的な魅力にあふれ、目にした者を異なる時間と空間へと誘ってくれるのだ。

「そう言えば、松原さんのお名前に時という字がありますね。何か意味があるんですか」。少し前に松原さんを訪ね、暗室の隣で写真を見せてもらっていた際に、ふと気になって聞いてみた。
「時夫という名は父親がつけたそうですけど、オヤジは僕が3歳の時に亡くなったから、どういう想いで名付けたのか聞けてないんですよ」。

松原さんの答えにうなずきながら、私は「水辺の人」と手書きされた作品ファイルのページをゆっくりとめくった。

写真集『水辺の人』は、そのファイルを元にして編集させてもらったものだ。「ぜひ写真集にしたい」という私たちの熱意に戸惑いながらも応え、出版を快諾してくださった松原さんに心からの感謝を伝えたい。制作を通じて松原さんから受け取った刺激と感動を糧にして、今後も美しい本を作っていこうと思う。