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水辺の写真から辿る記憶

2021.03.17 |

 森本真弘(フォトグラファー)

30年近く前に松原さんの写真教室に通っていた。そこではモノクロフィルムの現像とプリントを教えていただいた。セーフライトの赤い独特の明かりが灯る暗室で、現像液からゆらゆらと浮かび上がる写真に心躍らせていた。

フィルムを現像する際、リールという器具に巻き付けるのだが、うまくいかずに、何度も教えてもらったことが懐かしい。ベタ焼き、プリント、焼き込みなどを教わり、随分写真をプリントした。やがてデジタルカメラの時代が訪れ、暗室でプリントすることをやめてしまった。

私は写真を撮るのも、見るのも好きで、長い間、いろいろな写真集を蒐集してきた。世界的に有名なものもあれば、まったく無名の写真家のものもある。写真集づくりは撮影、プリント、セレクト、デザイン、装丁、印刷など、完成に至るまでの膨大な時間と工程が一冊にまとまっていく。そういったプロセスがたまらなく魅力的だ。

自宅の写真集が並んだ本棚からお気に入りを取り出し、めくってみる。一冊には何十枚も写真が掲載されているが、それらが撮影された瞬間を合わせても、わずか数秒にも満たない。閉じ込められた瞬間がまとめられた写真集は不思議な書物だとつくづく思う。いつ、どこで、どうやって撮影したのか。写っている場所はどこなのか。この人はこの後どうなったのかなど、思いは尽きない。

和歌浦で暮らす松原さんは70年近く撮影を続けてきた。「写真には記録性と表現する力がある」と言う。その写真の束がついに書物となった。水辺のレンズが捉えた写真は遠い記憶と結びつく。

暗室でゆらめく現像液。ネガをキャリアにセットし、印画紙へ露光する。現像液に着けた印画紙から映像が現れるあのワクワクする瞬間を、松原さんは今も知っている。