先日、写真家の松原時夫さんと和歌浦のカフェでランチをした時、松原さんの口から不意に明恵(みょうえ)上人の名前が出ました。鎌倉時代に和歌山県有田地方に生まれ、京都栂尾に高山寺を創建した高僧の名です。月の和歌を多く詠んだことから「月の歌人」としても知られます。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
ラップのようなこの和歌を初めて知った時、私はいたく感激し、青年期に明恵さんが修行を積んだ湯浅町の白山峯を何度か訪れました。湯浅の海を見渡す修行地の山上には磐座(巨石)があるのですが、その上によじ登って海から山々までぐるりと見渡した時、明恵さんはシャーマンだったに違いない、と思いましたね。
木の上で座禅を組んでいる「樹上坐禅像」なんかも御本人と樹木が一体になってる感じだし、明恵さんって自分が見た夢を40年にわたり記録し続けたらしいじゃないですか。満月の夜にあかあかや、あかあかやと歌っているような変わり者で、実はシャーマンだったと思います。(褒めてます。大ファンなので)
松原さんが楽しそうに話してくれたのは、湯浅湾に浮かぶ無人島「苅藻島(かるもじま)」にあてて明恵さんが手紙を書いたというエピソードでした。苅藻島を愛してやまない明恵さんは、「島殿へ」と島宛てに恋文のようなものを書いたと記録が残るのです。その話を聞いた時、私の中で松原さんと明恵さんが重なりましたし、むしろ、なんで今まで気付かなかったんだろうと思いました。ちょっと似てるのに。
松原さんにとっての沖ノ島と、明恵さんにとっての苅藻島が同じだとは思いません。明恵さんの島への想いは、恋心のように熱烈だと思います。
松原さんはそこにある美しい島を、ただただ撮り続けてきたように感じます。恋じゃなくて。