撮影年:1963(昭和38)年1月
撮影地:和歌浦
写真集『水辺の人』の表紙に使ったこの写真は、かつて和歌浦(和歌山県和歌山市)で盛んだった海苔養殖の風景だ。撮影した写真家・松原時夫さんは当時23歳。自宅のすぐ近くに広がる、干潟を撮った一枚だ。
和歌浦は市街地の和歌山城から5キロほど離れた海辺のまちで、干潟と砂嘴(さし)が織りなす内海の風景が特徴的だ。古代から風光明媚であったようで、宮廷歌人の山部赤人(やまべの あかひと)が、干潟から鶴が飛び立つ様子を和歌に詠んでいる。赤人は神亀元年(724)、聖武天皇の行幸に付き従って和歌浦に来たそうだ。
時は流れて江戸時代、1619(元和5)年に入城した徳川頼宣もこの地の美に共鳴し、和歌浦一帯を神域と定めて景観の整備を行なった。その後も紀州徳川家の歴代藩主によって、まち全体が風雅な庭園のように形成されていく。自然美と人工美が織りなす時空を超えた風景が、松原さんの感性に影響を与えたことは明らかだ。
『水辺の人』のあとがきで、松原さんは和歌浦についてこう述べている。
—— 入り江に沿って松並木や石橋、小島が点在する風景は、バランスの取れた絵画のようだと幼少期から感じていました。生まれた土地を死ぬまで撮ると決めていた私にとって、写真的な面白さが感じられる場所です。
夏の初め頃、松原さんのお宅を何度か訪ねてインタビューをした。
実は『水辺の人』には各写真のタイトルやキャプションを入れていない。表紙のこの写真も、海苔の養殖風景だとわかる人は少ないだろう。写真集をつくった当時は写真作品を言葉で説明することに抵抗があったのだが、初版から4年半を経ていろいろな思いがつのってきた。松原作品は芸術として素晴らしいだけでなく、記録資料としても価値がある。そして何より、背景を知ることでより深く写真を味わえるのではないだろうか。
あとがきには、続きがある。
—— 美しい風景と共に目にしてきたのは、たくましく働く人間の姿です。海苔の養殖が盛んに行われていた和歌浦、漁業で栄えた田ノ浦や雑賀崎、どこの水辺に行っても人々が働いていました。水辺は生活の場であり、人間の生活は水と一体化して日々動いている。その感覚は間違いなく私の中にも存在します。
「水と一体化して日々動いてきた人間の生活」を、私は文章にしてみたい。『水辺の人』に収録した(あるいは未収録の)写真を見ながら松原さんに語ってもらい、エッセイを書くのはどうだろう。松原さんにそう話したら「役に立てるかどうかわからないけど、誰かが話さないとね」と言って快諾してくれた。私がまちの歴史を記録する意義に突如として目覚め、語り部を探していると思われたようだ。そういうわけでも、ないのだが…。
松原さんは今年85歳だが、今も毎朝、自転車で海に行って写真を撮っている。潮の満ち引きに合わせて暮らしている松原さんの邪魔をしないよう、気をつけながら時々話を聞きにいきたい。
『水辺の人』のサンプルは、こちらでご覧いただけます。